代表者あいさつ

皆様、この度は当社のホームページにお越しいただき、誠にありがとうございます。
 国際結婚相談所ナタリーハウス 代表 加藤英夫と申します。当サービスは、「人柄の良い方が結果を得られない婚活の現状を変えたい」「婚活に悩む方々のお力になりたい」という理念のもと、立ち上げました。     会話倶楽部は前代表宮田氏が「交際女性としっかり会話する「というところから会話倶楽部と命名されました。宮田康志さんは1997年に「会話倶楽部ロシア」「会話倶楽部ウラジオストック」「会話倶楽部ハバロフス」「会話倶楽部ウズベキスタン」を立ち上げ、2019年12月25日にお亡くなりになるまで運営に尽力されました。
会話は国際結婚において基本の「キ」であり、異なる文化や価値観を持つパートナー同士が成長し、理解し合うことが、成功のカギとなります。また彼の口癖は「彼女(奥さん)と共に過ごした20年30年はあっという間だった。」とよく言っていましたが今私も「家内と過ごした13年はあっという間だった。」といえます。  
 ここで少し、私自身についてもお話しさせていただきます。私は私ほど女性の好みにうるさい人を知りません。そんな私は22歳年下の理想のパートナーと2011年に海外の婚活サイト(マッチングサイト)を通じて知り合いで翌年結婚しました。家内のおかげで今とても充実した毎日を過ごしていて私個人としてはできれば60歳までに2人目の子供を作りたいと考えています。普通なら孫がいてもおかしくない年齢にはなりますが家内が若いこともあってそんな夢を今も見ることができます。  

私はこれまで、4回結婚(日本人女性1回、ロシア女性3回)しました。二度の離婚と一度の死別を経験してきました。最初の結婚は日本人女性でした。若い頃の私は、「家族のために努力し続ければ幸せは続く」と信じていました。しかし、勤めていた不動産会社が倒産し、タクシー運転手として働くことに。収入の減少と同時に、自分の価値を見失い、夫婦のすれ違いは深いものとなり、離婚を選ばざるを得ませんでした。子どものために強くありたいと思いながら、「自分はもう家族を持つ資格がない」と思い込むようになっていきました。

それでも心のどこかで、「もう一度家族を作りたい」という想いは消えませんでした。その中で私はロシア女性との出会いの機会を得ました。「会話倶楽部ロシア」という結婚相談所に入会し実際にロシア女性と結婚し、日本で共に暮らした時期もあります。しかし、互いへの理解不足、タイミングの問題などが重なり、うまくいかない結婚もありました。また、私を深く愛しながらも病の苦しみを言葉にせず、静かに亡くなった妻もいました。大切な人を失うたび、「幸せな結婚とは何か」を真剣に考え続けました。

その過程で、宮田さんと共に約5年間、会話倶楽部ロシアのアドバイザーとして活動しました。私は多くの日本人男性の挑戦を間近で支え、成功例と失敗例を両方見てきました。その経験から分かったことがあります。

「国際結婚には、幸せになるための法則がある。」

そして約13年前、私は45歳でロシアのマッチングサイトを通じ、今の妻と出会いました。私は裕福でも成功者でもありませんでした。語学も完璧ではなかった。しかし、私は誠実に向き合い続け、何度も現地へ会いに行きました。遠距離、言語、文化、手続き…壁は無数にありましたが、それらすべてを乗り越えました。そして結婚し、娘を授かり、今は3人で幸せな日々を過ごしています。

私は確信しました。
「50代でも、失敗を重ねた人でも、家族は作れる」と。

ただし、それにはこの3つが必要です。

✅ 正しい出会い方
✅ 恋愛ステップの理解
✅ 国際結婚の知識

私は誠実で努力家の日本人男性を数多く見てきました。
教養があり、責任感があり、人間として立派。
なのに恋愛だけは、誰にも教わってこなかったために苦手なまま。

でも本当は、誰もが家族を望んでいる。
50代だからこそ与えられる幸福が、必ずあります。

だからナタリーハウスは、こう宣言します。

✅ 失敗した男性にこそ「勝てるフィールド」を提供する
✅ 経験ゼロの方でも成功できるステップを体系化して教える
✅ 出会いから結婚まで全力で伴走する

私は、人生を諦めかけたところから未来を切り開きました。
あの時、挑戦をやめていたら──今の幸せは存在しなかった。

次は、あなたの番です。

「希望を持つだけでは足りない。掴みにいく勇気が大切だ。」

人はいつからでも家族を作れる。
私はその証明者であり、伴走者でありたい。
それが、私がこの事業を続ける使命です。

私と妻との記念撮影

2011年頃の写真 

ふたりで一緒に撮った和服での記念撮影 
淡い光が差し込むスタジオで、お互いに笑い合いながら、自然と笑顔になったのを覚えている。あのときの温かな空気感が、今も心の中で優しく蘇る。

2011年頃 ふたりで一緒に撮った和服での記念撮影 
淡い光が差し込むスタジオで、お互いに笑い合いながら、自然と笑顔になったのを覚えている。あのときの温かな空気感が、今も心の中で優しく蘇る。

宮田さんとの思い出の写真

私と宮田さんは10年以上のお付き合いがあり、よく「代表の加藤があなたの女性に対するアプローチは会員さん達のお手本だから、交際の仕方を他の方々にも教えて差し上げてください」と頼まれていました。その時は、相手自身が努力して学ぶべきだと考え、理論的なアドバイスにとどめていましたが、今振り返ると、その頼みには重みがありました。

 会話倶楽部ではオフ会を通して自信の活動報告、ご自身の夢、アドバイスなど宮田さんを通して積極的に会員さん同士の付き合いが非常に活発でした。しかし前会話倶楽部の運営の限界は男性会員が女性会員と深い関係を築けないという深刻な問題が出てきました。

宮田さんは世界旅行が大好きで、時間があれば毎年異なる都市を訪れていました。語学が堪能で、英語はネイティブレベル、ロシア語も少々、フランス人の奥様を持つことからフランス語も話せておりました。

これはエジプトのピラミッドを訪れたときに撮ったユニークで微笑ましい写真。

昨今は知らない方がほとんどだと思いますが
国際恋愛に悩む男性のため、最初に会話倶楽部を立ち上げた宮田さん。この業界では知る人ぞ知る人物でした。

宮田さんが突然この世を去り、奥様のミューリエルさんは母国フランスへ帰国することとなりました。
別れの瞬間、空港で撮影された一枚には、彼女の静かな強さと共に深い悲しみがにじみ出ていました。その表情からは、愛する人を失った痛みと共に、これからの新たな歩みへの覚悟が感じられました。
どんなに辛くても前を向いて生きていこうという彼女の心の強さが、その写真から伝わってきました。ミューリエルさん、どうかお元気で、そしてこれからの人生に平穏と幸福が訪れますように。

宮田さんは世界旅行が大好きで、時間があれば毎年異なる都市を訪れていました。語学が堪能で、英語はネイティブレベル、ロシア語も少々、フランス人の奥様を持つことからフランス語も話せておりました。

これはエジプトのピラミッドを訪れたときに撮ったユニークで微笑ましい写真。 

昨今は知らない方がほとんどだと思いますが
国際恋愛に悩む男性のため、最初に会話倶楽部を立ち上げた宮田さん。この業界では知る人ぞ知る人物でした。 

宮田さんが突然この世を去り、奥様のミューリエルさんは母国フランスへ帰国することとなりました。
別れの瞬間、空港で撮影された一枚には、彼女の静かな強さと共に深い悲しみがにじみ出ていました。その表情からは、愛する人を失った痛みと共に、これからの新たな歩みへの覚悟が感じられました。
どんなに辛くても前を向いて生きていこうという彼女の心の強さが、その写真から伝わってきました。ミューリエルさん、どうかお元気で、そしてこれからの人生に平穏と幸福が訪れますように。